東日本大震災から7年が経ちました。

こんにちは、スタッフのチエです。

 

3月11日。とあるご縁があって、東日本大震災について語り合う会に参加してきました。

 

 

 

 

私は、福島出身です。

 

 

震災当時は、出産のため福島に帰っていました。

 

 

 

 

経験したことのない大きな地震。

 

 

これからどうなるか予想もできない原発事故による影響。

 

 

 

無事に出産できたものの、未来が全く想像できない状況に、心が、頭が、何も感じない、考えられない日々が続いた事を思い出します。

 

 

 

 

あれから7年が経ちました。

 

 

今は、震災の被害が少なかった秋田に住んでいる事もあり、当時の状況はやがて記憶となり、薄らいできている気がしていました。

 

 

そんな折、この東日本大震災について語り合う機会に呼んでいただきました。

 

そして、短大や看護大学で、介護や看護について学ぶ学生さんたちと、震災当時の事について話しをしてきました。

 

 

 

「地震が起きた時、何をしていた?」

 

 

彼らは当時、小学生から中学生くらい。

 

 

 

函館にいた子も、青森にいた子も。

 

被害が大きかった大船渡や、石巻や東松島にいた子も。

 

 

語り合いが始まるまでは、元気に楽しそうに話しをしていた彼らが、「震災当時、何をしていましたか?」の問いに、一瞬で表情が変わりました。

 

 

 

たぶん、当時の子ども時代の顔に。

 

 

 

あの日は、

 

 

 

卒業式だった。

 

 

教室で、友達と一緒だった。

 

 

家でピアノを弾いていた。

 

 

おばあちゃんと、家族の帰りを待っていた。

 

 

 

 

 

みんなそれぞれ、当たり前の日常に身を置いていました。

 

 

 

そして、突然訪れた大地震。

 

 

 

逃げる途中にけがをした子も。

 

 

津波を見た子も。

 

 

電気もガスも水道使えず、不便な思いを何日間もした子も。

 

 

 

 

自分より若い世代の子たちの震災の記憶を聞くのは初めてで、色々驚くことがたくさんありました。

 

 

そして、その当時の子どもたちが、今、看護師や、介護士といった、「助ける、寄り添う」仕事を目指して頑張っている事実。

 

 

 

すごいなぁ…と。

 

 

子どもたちは、守られているだけではなかった。

 

 

 

 

復興のために必死な大人たちを、ちゃんと彼らは見てきたのでしょう。

 

 

そう。確実に、新しい力が育っている事実。

 

未来が背中を押していてくれる事実を知って、嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災から7年。

 

地震があった現実も、復興に向けた活動も、今なお日常を取り戻せずにいる人がたくさんいる事実も、年々風化してきています。

 

ただ、その現実を生き延びた子どもたちが、新たに復興の担い手になってきていることもまた事実です。

 

 

未来のために自分に何ができるのか。

 

 

風化にあらがい、地震があった現実を伝え続けること。

 

そして、子どもたちに問い、若い世代に学ぶ大切さを知った、大切な1日になりました。

TOPへ戻る