欠けていること

秀逸な道具たちに囲まれて過ごしているうちに、気がついた事がある。

 

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みな一様に、「堂々としている」のだ。

 

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例えば、この花はさみ。

 

「わたし、切れ味抜群です。わたしが切れば、花を傷めずに長持ちさせる事ができるんです!」

 

 

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隣の、卵焼きのフライパン。

 

「わたし、卵焼きを美しく、おいしく焼けるんです!しかも、ずっとあなたのお役にたてるんです!」

 

 

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はたまた隣の、パスタトング。

 

「わたし、パスタをつかんで、手際よく盛り付けられるんです!このカーブも手に取りやすくて美しいでしょ!」

 

 

 

それぞれとても優れた道具たちだが、なんでもできる道具ではない。

 

 

 

花を切る。

 

卵を焼く。

 

パスタを掴む。

 

 

極端に言ってしまえばそれしかできない。

 

他の能力に欠けているのだ。

 

 

 

 

 

人は、万能である事を望む。

 

何でもできた方が良いと思う。

 

時に、他と比較して、自分が足りない事を、妬み嫉み、欠けている事が至上悪であるかのように思い悩む。

 

 

 

しかし、道具たちはどうだろう。

 

 

「わたし、こんな事ができるんです。こんなに役に立つんです。すごいでしょ!美しいでしょ!」

 

 

欠けている事には目もくれず、誇らしげに、堂々と並んでいるではないか。

 

 

 

その姿を見るにつれ、

 

あぁ、欠けているのではない。

 

他と違うところが優れているのだ。

 

と気づいた。

 

 

 

お互いに、違うところが優れているから、惹かれ合い、補い合える。

 

補い合うことで、さらに優れた結果を出すことが、違う可能性が生まれるのだろう。

 

 

そう考えつくと、欠けていることが、足りないことが、愛おしく思えてくるのだ。

 

 

 

それぞれが、違う個性。

 

それぞれが、突出した能力。

 

 

そう、あなたを補う、あなたの可能性を開く道具たちが、ここで今日も誇らしげにあなたを待っている。

 

 

 

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